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諸外国の援助
RI及び各国RCからの支援。東京クラブ史より
援助金の使途
残した数々の教訓
資料1
資料2
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諸外国の援助

 大震災時の各国の援助総額は30ヶ国で実に2,211万円に達している(米価格換算方式で現在の金額に置きかえると340億円)。米国が忽ち1,532万余円(換算236億 円)の巨額を義損して来たのは、罷災者はもとより凡そ日本全国民が驚惜し且つ感謝したのは云うまでもない。米国ではクーリッヂ大統領の大統領教書を以て同国赤十字を通じ、国民に義指金を勧告している。
 次にイギリスが357万円(換算55億円)と多額の援助を行っている。イギリスでも同情著しく、各方面で救済資金を募集したが、ロンドン市長の募金額のみで18万ポンドに達している。
  その次に多かったのは思いがけない支那(現在の中国)である。「支那はよし隣邦交誼の国というも、兵乱収まらざる幾年来、未だ一日も泰平ならず、而も挙って同情あり。133万7千円(換算20億6千万円)の巨額を我れに寄せしは」と「大正震災誌」に記されてある。

廃虚の如き銀座街
東京随一の市街区たる銀座通りは半夜にして焼け失せた。其焼跡には壮麗な商舗の残骸が哀れに林立して、ボンベイ廃虚の光景彷彿と偲ばせ、夜々漫歩の士女に降り濺いだ月光は淋しく死灰の埃に咽んで居る。

 オランダ、ベルギー、フランス、スイス、スウェーデン、イタリーなどの援助
は勿論だが、ペルー、メキシコも上位にみえ、またボリビア、ラトビア、チリ、
などの国々も見え感慨深いものがある。
 金銭・物資の援助許りではない。フランス及びイタリーの如きは、日本国民の不幸に対し、国民的表弔日を定め、当日は半旗を掲げ歌舞音曲を停止したり、スウェーデン、ポーランドでは祈祷会を催している。アメリカでは9月2日は日曜日であったが、東部地区では休日出勤してその賃金を義指金に充てたり、ニューヨークの救世軍では「日本を救え」と大声で呼びつつ桜の造花を通行人に売りつけ、それを胸にかざした人が街に満ち溢れたという。今日では考えられぬ行為を行って憂慮を表しており、当時と比較すると、今日の世界中の人心が如何に荒廃しているかが窺われる。

  米国の救援はその迅速さと大規模さの二つの点で異彩を放った。9月1日の夕刻、電線電信が米国に達するや、ワシントン政府は直ちにクーリッヂ大統領の見舞い電報を発すると共に、時を移さず援助の方策を樹て、第一にフィリピン政府に打電して可能な限りの食料及び救護物資を日本に輸送すべく命じ、同時に支那近海にいる米国アジア艦隊に対し、即刻震災地に赴援すべきを命じている。
9月10日青島方面より軍艦ブラックホール号が品川に到着、英艦ホ-キン号も入港し救助の魁となった。ブラックホール号の搭載品は米28万斤・大豆21万斤・麦粉15万斤はじめ多くの物資であった。また、軍医を数多く派遣し、日本赤十字社と協同して横浜山下町、東京築地に救護病院を建てるなど献身的活動を行っている。

  忘れてならぬことは、当時の駐日大使ウッヅ氏の斡旋蓋力である。大使夫妻は負傷した母堂と共に辛うじて難を免れたにかかわらず、身を挺して館員を指揮して救援に蓋し、米国政府と密に連絡をとり、米国政府の援助を引き出す努力を傾注し、氏の退任離日時には朝野を挙げてその厚意に謝している。